蕃山歴史散歩


雲居禅師ゆかりの霊山 蕃山

自然と文化遺産の地 蕃山

蕃山の由来

雲居禅師(うんごぜんじ)が大梅寺(たいばいじ)を建立しようとした際に天狗に邪魔されたのを蕃ニ,蕃三郎兄弟が追払った,という伝説にちなんで「蕃山」と名付けられました。(「盤山」とも書く)また,山腹の竹藪の巨石の下から,こんこんと清澄な泉が豊かに湧いていました。その美味に,この山の白鹿を巻狩に来ていた藩祖伊達政宗(1567~1636)が,唐の詩人韓愈(かんゆ)の詩の一節“盤谷の間,泉甘くして土沃ゆ”から,「盤山」,「甘泉筧」と名付けたともいわれています。以来,茶の湯として有名であったが,折立団地の造成で惜しくも涸れてしまいました。蕃山は,昔から信仰の山,御野掛け(ハイキング)の山として,権現森や太白山とともに仙台市民に親しまれてきた山です。また山麓には,伝説を育んできた大梅寺をはじめ,庶民信仰の小祠が点在し,自然と文化的遺産の地とされております。

 

 

蕃山は,古刹大梅寺,そして

開山雲居禅師を抜きにしては語れません。

大梅寺と雲居禅師

蕃山山腹の臨済宗大梅寺は,松島瑞巌寺を退山した雲居禅師(1582~1659)が此処の白鹿堂跡に来て庵を結び,終焉の地に定めた寺で,慶安(1650年)に創建された禅宗の古道場です。檀家をもたない修業寺で,夏目漱石の小説「草枕」に“陸前の大梅寺へ行って,修業三昧”とあります。雲居禅師は,諸国の山野を行脚し,全国に173ケ寺を開山しました。天皇にも禅を講じ,後に朝廷から「大悲円満国師」の名前を贈られました。京都妙心寺の禅宗の高僧です。

常寂光塔 (通称:開山堂・かいさんどう)

大梅寺の開山雲居禅師の塔所(たっしょ,お墓)。雲居禅師は,藩祖伊達政宗が瑞巌寺を創建し開山に懇請されたが固辞して請けず,27年間も待ち続けた政宗の遺言に心を打たれ,遂に松島に来て瑞巌寺の開山となり,その誠意に報いました。慶安3年(1650年)の冬,蕃山の麓に来て庵を結び,終焉の地に定めました。この蕃山をこよなく愛で何時も大梅寺から登って来ては,此処で座禅を組みました。「熊や鹿がよく遊びに来てくれた」と自ら漢詩に書き残しております。万治2年(1659年)入滅。78歳。蕃山の山頂に葬られました。遺命により墓石は建てませんでしたが,元禄13年(1700年)四代藩主伊達綱村によって,その上に堂を建て,禅の静かな侘び寂びを表す「寂光」の文字をかりて「常寂光塔」と命名しました。

現在の堂は,嘉永7年(1854年)の建立。堂内の正面は雲居禅師,右は蕃ニ,左は蕃三郎の像です。